-第四話「大阪レゲエ "Yard (ジャマイカ)Styleの夜 "」-
80年代前半の大阪で云わゆる「レゲエのお店」と思われる店は無く堺のリズバーンがそのレッ
テルが貼られている頃に、先に記したUniver-cityこと 「Rydim Posse」が東区(天満)にオープ
ンした。その当時「レゲ者」の代表はラスタ。ジャメイカではDanceHall全盛の頃で日本ではイン
ドっぽいラスタがレゲエルーツでユラ ユラ してた時にバンブーウォールで床はモルタル、金網
とズィンクで作られたブ−スの中でセレクタ-が7インチを回し、Dee-Jayが「Yeah Man」とウナる。
〜 Yardy やね。 店に来るほとんどがジャメイカに行ったことも無い人達なのだが何か知らな
いがその雰囲気をかもしだしていたと思う。
Ridim Posseができて全国のレゲエ者もここへ集う様にもなった、京都では[ Rub a Dub ]がす
でにオ−プンしていたがダンスホール(キャパはないが)スタイルとしてはRidim Posseが唯一
だったといえ 初代Dee-JayのあのMr.Ghettoさんもイケイケで訳のわからんことを必死で演って
おりました。そんな折、バヴルの申し子 「DCブランド」のスポンサーが W.SmithやS.Minott
H.Andyらを呼んだのだ。その流れでア−ティストがRiddim Posseに寄るとのことで 店内はもう
スシ詰め(と云うのも狭い)。遅々でようやく着いたとたん Mash Up !!
あの時のショックは私が始めてジャメイカで見たブラックスコーピオの時と同じぐらいやったなぁ。
「コレや!これがジャメイカスタイルや!」 そう感じたレゲエ者は多かったと思う。
店中がはじけてようやくクスぶった頃、S.Minot, H.Andyらと我々はとなりの公園のベンチにす
わり、月あかりの中でBone Weed !! お互いの国やレゲエシーンを語り合ったと云うよりしょうも
ない質問と「ジャメイカン ゴールド」の自慢ばっかりやったが、そこにいた大阪Rude Boysらに
とってそのショックはその後、「Gone Jamaica 」ブームでみるように「見るより聞くより行くのが
一番」と皆がこぞってジャメイカへ渡ったことでうかがえる。だがそれよりも前に迷セレクターこと
”Drunky 狩集 ”やカンペイ(こと大村君aka Hidoshi) そして現在”CUSS CUSS"のオーナーの
とっちゃんの兄のかっちゃんらがそうであった。彼らが見たジャメイカとアイランドのS(Mかも?)
らが体験した話が唯一の情報源でもあり、彼らとの話もより盛り上がった。
その際あのジュンもDee-Jayデビューするのであったが自分で付けた名前が”Fuckin JUN"
そのまんまやがな。トホホ〜。
今ではキングストンで母としてまたサウンドボーイの姉としてがんばってるらしい。私にとって彼
女は本当にOOOOOジュンです。その夜を境に大阪レゲエシーンがより熱くなってきたのは云う
までもない、本当に今でも目に浮かぶ夜だった。Murderer !!!
-第五話「Mini Bus from Osaka」-